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長野県 安曇野ワイナリー「結局、ワイン造りは人づくりなのかなって、最近特に思いますね」

長野県 安曇野ワイナリー「結局、ワイン造りは人づくりなのかなって、最近特に思いますね」

 

今日も何の気なしにSNSを開けば、膨大な量の景色が流れ込んでくる。
息を飲むような壮大な絶景に、この世の物とは思えない原色の世界、果ては海底の深淵まで。
自宅のソファでも、電車の中でも。
ずいぶん手軽に旅行気分が味わえるようになったものだ。
晩酌時に液晶を眺めながら、そんな不思議な感覚を覚えることがある。

それでもどこか満たされないものを感じながら、さらに月日は過ぎていく。
しかしこのほど、昔に比べてすっかり重くなった腰を上げ、少ない余暇の都合をつけてこの地を訪ねて来た。

ここは信州、長野県は安曇野市。
ふと旅愁が恋しくなったあの日の夜、ワイングラスに注いだ14ヶ月モノのスペシャルリザーブが生まれた街だ。

あるいはメルロとカベルネ・ソーヴィニヨンのあの香りがしばらく忘れていた好奇心をくすぐったんだろうか。

徐々に実が色づき始めたりんごの畑の先、標高にして約700mの一帯に安曇野ワイナリーはあった。
そう、かのワインはここでつくられたのだ。

まだ朝も早い時間だったが、敷地内のぶどう畑には作業に勤しむ人影が。
邪魔しちゃ悪いかな、とは思いつつもたまらず声をかけるとその手を止めて、「こんにちは」と男性は微笑んだ。

古川健太郎さん、このワイナリーで長年栽培を担当するぶどうづくりのプロだ。

「今はぶどうの木がかなり伸びてきていて、ちょうど花が咲いたところなんですよ」。

それはラッキー! と思ったのが表情から悟られたのか、彼は続ける。

「でもぶどうの花って、本当に地味なんです(笑)。ホントによく見ないとわからないと思いますよ。
りんごの花みたいにきれいだったらいいんですけど」。

古川さんが指差した先には、極小のぶどうのような緑の粒の集合体が。
実はぶどうの花には花びらがなく、主張はかなり控えめ。身も蓋もない言い方をすればめちゃくちゃ地味だ。

しかし、花に華こそなかったけれど、この畑から見える景色はなかなかどうして、悪くない。
敷地の裏手には黒沢川という小川が流れていて、澄んだ水に触れると夏本番も間近というのに、しんと冷たい。
そして顔を上げれば、北アルプスの大パノラマ。
このコントラストだけでも、足を運んだ甲斐があったと思えそうだ。

(ワイナリーから望む山々。これは訪れるよりも少し前、4月も終わりごろの風景。)

「山に守られてるような感覚はありますね。僕、周りに何も無いようなところに行くと落ち着かないんですよ。
長野の人って、結構みんなそうなんじゃないかな?(笑)」。

聞けば、おそらくこの畑も元々は川だったようで、その名残か今も砂が多くて石もゴロゴロしている。
そこから来る水はけの良さが、高温多湿の日本では糖度の高い美味しいぶどうを育てるのに有利に働くのだとか。
逆に猛暑の夏は水やりに追われると古川さんは話す。
彼はもともとこの地の生まれだそうだが、実はこのワイナリーに参画する以前は、全国を転々としていたと言う。

「もともと僕はワインが作りたいっていうより、農業がやりたくて。大学から外に出て、いろんなところに行きましたね。
北海道だったらスイカ屋さんにダイコン屋さん、レタス屋さんで収穫の手伝いをしたり。
冬は北海道は仕事が無くなるんで、沖縄に飛んでサトウキビ狩りもやりましたね。そういう生活をずっとしてました」。

まるで流浪の民。予想のナナメ上を行く根無草感だ。
「ぶどうの木の根はしっかり張るようにと一生懸命なのに、自分のことになると別なのか」と一瞬思ったが、大して上手くないし、どう考えても失礼なので口をつぐんだ。

「他にもお米とか色々やりましたけど、果樹はそういう農業と違って1年じゃ終わらないんですよね」。

? どういうことだろう。真意を尋ねるより先に、彼は答えを教えてくれた。


「米は植えて1年経って、収穫したらそれで一度リセットされるんです。
でも、果樹って毎年の積み重ねで、1年がうまくいかなかったら次の年も足を引っ張っちゃう。
それが果樹の難しいところであり、面白いところでもあるんですけど。
この先もこの木を使って収穫していくっていう前提でやってると、1年だけじゃなくて何年か後のことも考えて作業していかないといけないから」。

なるほど。全国を渡り歩いた古川さんが、この地でぶどう栽培に落ち着いた理由が少し分かった気がする。
しかし、聞けば聞くほど、ぶどう栽培ってやつは一筋縄ではいかなそうだ。

「やっぱり上手く行かないことは未だにありますよ。失敗なんて数えきれません。大事に育てたぶどうがダメになっちゃうと、やっぱり悲しいです。
いや、虚しいっていう方が正しいのかな。農業やってる限りは、ある程度諦められるっていうのはあるんですよ。
特に果樹は台風だとか天候だとかの影響が大きいんで。だけど人間が何とかすれば出来るところもあるんで、できることをやって、それでも駄目だったら諦めるしかない。で、後悔したら同じことはやらないようにしようと。次に活かすしかないですよね」。

その表情は柔らかいが、不意にその瞳に覚悟が滲んだような気がした。

「ぶどうの品質がそのままワインの品質にもなりますからね。でもギャンブル的なところもすごくあって。
特にぶどうの収穫のピークになる9月、10月がしっかり晴れてくれればいいんだけど、そればっかりはわからないですからね。
大変だけど、それが面白さかなぁ」。

人にも畑にも、やっぱりストーリーとドラマがあるんだなと、妙に感心してしまう。
日頃、すっかり弾力を失ったはずの心がここに来ると瑞々しさを取り戻すんだろうか。ぶどうの実みたいに。

やっぱり別に上手くないなと自嘲しながら、古川さんに挨拶を済ませて醸造所の方へ向かう。

「責任者の加藤です」。
次の一画を案内してくれた加藤彰さんは、大きな醸造設備に囲まれてもなお、迫力のある人だ。
平たく言うと、姿勢とガタイが妙にいい。実はこの加藤さんは元自衛官なのだそうで、道理で背筋が伸びてるわけだ。敬礼。

「でも、醸造も意外と力は使うんですよ。白は果汁をそのまま絞って発酵させればいいけど、赤ワインっていうのはぶどうの実と皮も果汁と一緒に発酵させるので、実と皮が浮いてくる。
発酵するには酸素が必要ですし、上の方に雑菌が溜まるといけないのでそれを沈めなきゃいけない。
そのためにかき回してあげるんですが、これができるタンクもあるけど、未だに手作業でかき回すこともあって。
とにかくカタくて大変なんです」。

その硬さがどんなものかと言うと、人が乗っても沈まないほどだと聞けば想像に難くないはず。
ワイン造りのこの工程はピジャージュと言うのだそうで、日本酒醸造で言うところの櫂入れ(かいいれ)に当たる。

しかし、そうした力仕事が加藤さんの本領かと言えばそうじゃない。
発酵のために必要な酵母を、少しずつ時間をかけて果汁に馴染ませていくという繊細で根気のいる工程についてももちろん精通しているのだ。

「今、これがまさに発酵してるんですよ」。

醸造所奥の部屋で加藤さんがそう言って見せてくれたのは、液体の入ったガラスのフラスコ。
片手で楽々持ち運べるサイズ感だ。少量だから何かのテストなのかと思いきや、どうやら違う模様。

「この中で小さい発酵をさせていって、徐々に果汁の量を増やしていくんです。それで、最終的に大きなタンクへ持っていくんですよ」。

聞くところだと、これはワインではなくてシードルの醸造過程なのだそうだが、確かに地道で忍耐力が要りそうだ。
ワインとシードルとで、さらには果汁の種類によっても必要な酵母は変わるそうで、その見極めももちろん、加藤さんの経験と知恵が鍵だ。

「酵母は徐々に増えていくんで、いきなり果汁をたくさん入れると全滅しちゃうんです。
酵母にとって糖分はエサなんですけど、あまりにエサが多いと『うわ! なんかすごい量来たぞ。
食べきれなくて死んじゃう……』ってなっちゃうんでしょうね(笑)。
それと、酵母自体には“キラー性”という性質があって、他の酵母を殺そうとするんですよね。
だから、できるだけ同じ果汁は同じ方法で発酵させた方がいんです。
寒いとどうしても動かないんだけど、暖かくなった今の時期は活発になるんですよ」。


なるほど、酵母の世界も大変だ。生きていくっていろいろあるよね。わかるわかる。

閑話休題。加藤さんは部屋を出て、またワインづくりの現場へと私を招き入れる。
タンクの隣には、燻蒸を済ませた樽が何種類か並んでいた。
今は空だが、8月の末くらいに本格的に醸造が始まると、この中で保管をするのだと、加藤さんは教えてくれた。

「同じワインでも、保管する樽によって出来上がりが全然違います。
メーカーや内側のローストの仕方が違えば、まったく別の味になります。
よく樽香(たるこう)なんて言葉を聞くと思うんですけど、特に香りへの影響が強いですね」。

ロースト香の強いものにバニラ香、アーモンド香にカラメル香など挙げればキリがないが、絶対的な正解が無いのがこの香りの仕上げの難しいところ。
一昔前は樽香のしっかりとしたものがもてはやされたが、近年ではもう少しすっきりとしたものを是とする声が増えてきているようだ。

「その辺は柔軟にやっていきたいなと思っています。ワインって、流行りがあるじゃないですか?
だから、“こういうワインを作りたい”っていうイメージも、時代によって変化していくんです」。

すでに物腰から感じてはいたが、加藤さんの考え方は見た目の屈強さとは正反対でおもしろい。
それは自分自身だけのことではなく、この醸造所で働くスタッフたちに対しても当てはまる。

「若い人たちには僕がこうだ、って言うんじゃなくて、責任者として柔軟に接しようっていうのは常に意識してます。
彼らが『こうやりたいんです!』って言ったら、『じゃあやってみれば?』って。
正直、それで簡単にうまく行くほど甘くはないですよ。
でも、やりたいことをやらせないとそれぞれが伸びないし、何よりワイン造りが楽しくないんじゃないかなと思うから」。

その説得力は、かつてシステマチックな組織で数年間を過ごした彼だからこそ生まれるのだろうか。

「結局、ワイン造りは人づくりなのかなって、最近特に思いますね」。

加藤さんはそう言って笑う。
ぶどうに、人に、酵母に、ワインに。この人がちゃんと向き合っているのがわかる。
もちろん、それだけに楽しいことばかりじゃない。

「ビン詰めを終えるまで、緊張感は常にありますよ。土日も関係なくここに来て、温度がどうだとか、チェックしています。
今はもう発酵が始まってるんで、ほぼ毎日出てきてます。気になることがあれば、一度家に帰ってからまた戻ってくるなんてことも珍しくないんです」。

決して楽ではない仕事。だからこそ、思い入れの強さもひとしおだ。1ヶ月以上発酵させているというタンクの前で加藤さんは嬉しそうに話す。
「これはデザートワインなんで、そろそろ発酵が止まります。あとは酵母にお任せですね」。

どこかの長寿番組みたいなフレーズにもクスッとさせられたが、それ以上に目に見えない酵母を、ひとりの人間のように話す彼に興味が湧いた。

「本当に子供みたいな感覚ですよ。普通じゃないですよね(笑)。でも生き物だから機嫌が悪いときもありますし、色んな個性があるんです。
いい子はやっぱりいい育ち方をするんだな、とか、ヤンチャなじゃじゃ馬がこんなに立派になって……とか。
いつもありがとうね、頑張って! って気持ちが強いかなぁ」。

そうやって育てたワインが出荷されていくのは、娘の嫁入りを送り出す父親のような気持ちなのだろうか。

「しばらく行けてないから、また東京に行ってウチのワインを置いてくれてる飲食店の皆さんやお客さんに会いたいですね」。

加藤さんのそんなつぶやきが、妙に印象的だった。

一通り施設の見学を済ませたあとは、オーク樽が並んだ半地下のワインセラーを覗かせてもらい、いよいよ楽しみにしていた試飲の時間だ。

テロワールの恩恵をたっぷり受けたスペシャルリザーブは言わずもがな、自社栽培のシャルドネ100%の白もかなりイケる。
何なら紅玉りんごを使ったデザートワインも美味しくて、至れり尽くせりだ。

しかし、このワイナリーの人たちの温かみと安曇野の風土に触れた今、風味以上のものが1杯のワインの中に見えるような気がするのは少し酔いが回ってきたからなのかも知れない。

物見遊山で訪れたこの場所で、まさかこんなに多くのエピソードに出会うとは惰性で過ごしていた日々にはまるで想像できなかった。
ただただスマホを撫でて、旅をしたようなつもりになっていたけれどやっぱりそこに心躍る出会いや感動は見つからなかった。

本当のストーリーはSNSじゃなく、旅路の果てにあったのだ。

家に帰ると、旅の疲れもあってか少し感傷的になってそんな考えが頭をもたげる。
テーブルには、一緒に連れ帰ってきた1本のボトルが。

安曇野の自然と人が育んだ、上質ワイン。それが静かにたゆたうグラスはどんなに高精細な液晶よりもはっきりと、旅情や人間模様を映し出す。

< 写真:谷口 京 / 文:今野 壘 >

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安曇野ワイナリー株式会社

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