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山梨県 勝沼醸造「せいぜい生きて100年。土地って、その間だけ後世から借りているものだから」

山梨県 勝沼醸造「せいぜい生きて100年。土地って、その間だけ後世から借りているものだから」

 

「次は、勝沼ぶどう郷」

東京から在来線に揺られること、1時間と少し。たどり着いたその駅は風変わりな名前も少なからず新鮮だったが、改札を抜けたときの驚きはその比じゃなかった。

小高い丘になった駅前で視界いっぱいに広がっていたのは、まだ雪の被った南アルプスの山々と、ふもと一面に広がる甲府盆地。

その見晴らしの壮大さたるや、昔のドラマだったら“主人公だけが知っている秘密の場所”とかで登場しそうなほどだ。
だけど、やっぱりこの地で暮らす人たちにとってはこれが当たり前のようで、人のまばらな小さいロータリーにいた親子連れはそんな景観に目もくれず、涼しい顔で街の方へと去っていった。

聞けば、春にはここが満開の桜で一色に染まるそうだ。まだしばらくは寒さも和らぎそうにない冬の日。
ちょっと惜しいことをしたなとぼんやり考えながら、当初の目的を思い出してタクシーに乗る。

「勝沼醸造までお願いします」。

この地で80年以上の歴史を持つ、老舗のワイナリー。飲み方や銘柄に一家言ある うるさ型たちから「国産」だとか、「日本ワイン」だとかいう言葉がよく出るようになった頃に知って、以来ひそかに気になっていた場所だ。
余談だが、直営のレストランテ、「風」のローストビーフが絶品らしく、その一皿を赤ではなくここ甲州の白ワインとやると、めちゃくちゃ合うらしい。


何でもここ日本にワインが伝わったのは明治時代で、約140年前のことだという。
しかし、その原料となるぶどうの歴史はもっと古く、1300年もの昔にはすでに栽培が始まっていたそうだ。
そして、この旧勝沼町というエリアは日本の固有品種、“甲州”の名産地。
雲が流れて来にくいから日照時間が長くて雨は少なく、風向きのせいで昼夜の寒暖差が大きいという盆地独特の気候がここらで獲れる味の良いぶどうの秘密で、それがこの地に32ものワイナリーが集中している所以なのだ。

……と、走る車内でそんな付け焼き刃の知識をおさらいしていると、ほどなくして「着きましたよ」と運転手が言う。
そこは、築140年という何とも趣のある日本家屋だった。

黒い暖簾をくぐり、声をかけてから門を開けると「いらっしゃい」と、男性が優しく出迎えてくれた。
「テイスティングルームです」と通されたのは、土間の奥に畳の座敷がある広々とした部屋。
はじめて訪れるのにどこか懐かしい。しかし、そんな風格を実感する度に、今いる場所がワインの醸造元であるというのが意外に思えてくる。
何にせよ、足を運ぶまでは美味しいワインと料理以外に一切向かなかった関心は、この地を訪ねてからというもの、えらく活発になるばかりなのだった。

そう言いつつもここらでお腹も空いてきたことだし、まずはやっぱり当初の目的であるローストビーフと白ワインにありつくべく、少し離れた場所にある「風」を目指すことにした。

お店があるのは、ぶどう畑を見渡せる丘の上。入り口のドアを開けるとそこは明治時代の洋館を思わせる天井の高い空間で、広々としているのが心地よい。
郷に入っては……ということで、ペアリング付きのランチコースを注文した。

前菜、スープとコンスタントに運ばれてくる料理。どれも丁寧な仕事で、シンプルにウマい!

そして、いよいよメインディッシュのローストビーフのお出ましだ。
シルバーカートで運ばれてきた大きなプライムリブの塊を、目の前でシェフが切り分けてくれるという演出もニクい。

これこれ!これを待ってましたと、さっそく一口。

肉の自然な甘味が口いっぱいに広がる……。今までに味わったことのないほどのジューシーさだ。
たっぷりの生わさびが添えられていて、それをやりすぎなくらい載せて食べるのがオススメとのことだったので、それに倣ってみることに。

……!!
和牛の良質な脂をわさびの辛みがすっきりとさせつつ、味の深みを増している。これは控えめに言っても感動的な美味しさだ。アラカルトだったらすでに再オーダーしかねないくらい、いつまででも食べていられそうなのが恐ろしい。


その美味しさにも感心していたのだが、さらに興味深いのが一皿ごとに提供されるワインだ。あらかじめ心得てはいたけれど、魚介のカルパッチョもローストビーフも、すべての料理で種類の異なる白ワインが提供されるのだが、こうやって味わうと同じ白でもそれぞれ風味や味わいがまったく違うのがよくわかる。

あぁ、月並みだけどワインはやっぱり奥が深い。

この日、訪ねて最初に迎え入れてくれたのは有賀淳さん。この勝沼醸造で営業を担当する、当代の息子さんだ。

他にもふたりのご兄弟がいて、今は3人がそれぞれ異なる部門を担当していると彼は教えてくれた。

母屋の裏手には今も畑が広がっていて、収穫を終えたばかりのこの時期は当然、実はついていない。
そんな中にあって棚式栽培されるぶどうの木の枝を熱心に剪定する姿があった。作業に勤しんでいたのは三男の翔さん。ぶどう栽培のプロだ。

ワイン通を唸らせてきた老舗のぶどうづくり、さぞ企業秘密の多いことだろうと思いつつ、ぶどう栽培の極意を尋ねると意外な言葉が返ってきた。

「僕らは肥料も水も最低限しか与えてません。強いて言うなら、できるだけ手を加え過ぎないように、一番気を使ってるかなぁ」。

予想外の返答。翔さんの真意はこうだ。

「畑にすごく手を加えることはできるけど、そうするとそこは僕のテロワール、僕の畑になっちゃう。
だけど、ワインの世界ってそういうものじゃないと思うんです。
そこにどんなストーリーがあるのか、どんなアイデンティティを持ってるのかが重要で、そこに僕らの影はいらないんです」。

ついつい構いたくなるところをグッと堪え、土地の個性をしっかりと認識し、そして活かすこと。
それがただ美味しいだけじゃない、唯一無二のワインを生むってことなのだろう。

お礼を告げてその場を後にし、いよいよ次に向かったのは醸造所。長男の有賀裕剛さんが指揮を取るセクションだ。
案内された施設の一番奥にあったのは、ぶどうを搾汁する3台のプレス機。
大人が何人かは余裕で入れそうな大きさだが、裕剛さんが言うにはこれでも小型のものに変えたらしい。

「ちょっと前まではより大きな機械を構えて、専任のメカニックが立ち会って、温度を管理室でコントロールするとかっていう、“設備のスゴさがイケてる”みたいな風潮がどこのワイナリーにもあった気がします。
でも、僕にはそうは思えなくて。父にも『最新やトレンドばかり追いかけるのはヤバいよ』とずっと言ってたんです」。

日々更新される最先端を追うよりも、クラシックなやり方を徹底的に勉強することの方がぜったいに重要なのだと、裕剛さんはハッキリと言い切る。
迷いのない物言いと眼差しの力強さが、否応なしに説得力を感じさせる。そんな裕剛さん、実は元々はファッションの仕事に携わっていたという人物。
技術革新や流行に安易に飛びつかず、守るべき伝統を大切にするという姿勢はそんな経歴ときっと無関係じゃない。

その後は単身ブルゴーニュに渡り、本場のワインづくりを学んだそうだ。 凱旋後は、満を持して家業に迎え入れられたのかと思いきや、実際はその真逆だった。

「例えばぶどうをアルコール発酵させるとき、オリ(沈殿物)の発生を抑えるために多くのワインメーカーでは添加物を加えて果汁をキレイにするんです。
でも、それをやると味わいが無くなる。だから、添加物に頼っちゃいけないと入社1週間後くらいで言ったときには、誰も耳を傾けてくれませんでした。
結局はワインをつくるのは人であって技法じゃないんです。だから、自分で発酵の仕方も色々試して、それをできるだけシンプルでわかりやすく、仲間たちに伝えるようにしてきました。今では添加物を一切使わずにつくれるようになりましたよ」。

参画から13年。裕剛さんは自らの行動と姿勢で勝沼醸造の仲間たちからの信頼を得て、今では品質の要たる醸造責任者を務めるに至っている。

「いいワインメーカーっていうのは品質ももちろんだけど、哲学を持っていることが重要だと思うんです。
飲んでくれる人たちに自分の言葉で伝えることはできなくても、ワインにそういう想いを込められたらなと、いつも思っています」。

勝沼醸造の次代を担う長兄の静かな矜持に触れて、ちょっと目頭が熱くなる。
こうして会ってみると、兄弟みんながそれぞれの個性とこだわりを持ちながら未来を描いているのがよくわかる。
きっと、彼らの情熱は脈々と受け継がれてきたものなのだろうな、なんて少しエモい妄想をしていると、しばらく姿を見せなかった淳さんが誰かを引き連れて戻ってきた。

「はじめまして」。

こちらに朗らかに声をかけるその人が、有賀雄二さん。3兄弟の父親で、勝沼醸造の当代だ。聞けば、今年で66歳とのこと。
物腰こそ柔らかいが目の奥の力強さは健在で、まさしく職人気質な昭和の男といった面構えだ。
こちらの関心を察してか、雄二さんは彼らの家系にまつわる昔話を聞かせてくれた。

「元々は製糸業だった僕のおじいちゃんが、おばあちゃんの勧めでぶどう酒づくりをはじめたのがウチのルーツ。
戦前はまだワインの醸造に免許が要らなかったからね」。

もちろん雄二さんは生まれも育ちもこの勝沼。その幼少期を彼はちょっと熱っぽく振り返る。

「真っ先に思い浮かぶのは、ぶどうを収穫して仕込みをしてる先代の姿だなぁ。
あの頃の勝沼は一面、見渡す限りぶどう畑で本当にどこを写真で撮っても絵になったんだよ。それがどれほど格好良かったことか!」

雄二さんの表情が3兄弟のそれとどこか重なり、その情熱は次の世代にちゃんと継承されているのだと実感させられる。
もちろん大変なことは少なくないだろうし、息子さんたちとは意見が食い違うこともあるのだろう。
おぼろげに考えていたら、雄二さんが続けた話はそんなこちらの憶測を見透かしたようなものだった。

「ワインの世界では白だったらシャルドネ、赤だったらカベルネ・ソーヴィニヨンとかメルロー、ピノ・ノワールとかっていう有名な専用種を他の国とか土地に植えて、本家を凌いで話題になることがあるんだけど、それをニューワールドって呼ぶんだよ。
それで、僕も1990年にシャルドネとカベルネ・ソーヴィニヨンをウチに植えたことがあるんだけどさ、2012年にフランスから帰ってきた裕剛が、それを全部引っこ抜いちゃったんだよ(笑)」。

ここでも出てきた、裕剛さんの豪胆エピソード。もちろん、そこには理由があった。

「『親父、俺たちは甲州でトガったワイナリーになるんじゃないのかよ!』って諭されてさ。息子にそう言われて、「ごめんなさい、その通りです」としか答えられなかったよ」。

そう笑う雄二さんはバツが悪そうな仕草をするが、表情は何だか嬉しそうだ。

「最初は漠然とフランスへの憧れもあったよ。だけど、現地に何度も足を運んでフランス人たちと話してると、みんな『先人たちがいて、今の自分たちがいるんだ』って言うワケ。そのとき、歴史っていうのは買えないんだなって気付いんたんだ。
僕たちにも、先人がいる。勝沼醸造はフランスのマネをするんじゃなくて、和風のワイナリーであることを誇りにしたい。
外国人がここに来てくれたとき、甲州のぶどうを使った本物の日本ワインを畳の上でテイスティングしてもらう方がさ、絶対に格好いいじゃない!」。

空港も大使館も無い山梨の地。だけど、ここで暮らす彼らの姿勢は本当の国際人のそれで、その目は確実に世界を見据えていた。

何やかんやとすっかり話し込んでしまい、気づくと空はもう夕焼け。
お土産にと良いワインも手に入れたが、それ以上に思わぬ収穫をたくさん得てしまった1日だった。

駅に戻る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。人のいないホームで少し待っていると、帰りの電車が到着した。
乗り込んだ車内の暖かさがまどろみを誘う。明日からはまた、いつも通りの1週間。
いつもなら少し憂鬱だが、今夜は少しだけ特別な1杯が楽しめそうだ。

車窓から見える街の灯はもうすっかり遠い。暖かくなったら、またここへ来よう。

< 写真:谷口 京 / 文:今野 壘 >

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Katsunuma Jozo

勝沼醸造株式会社

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