Myfave.
Presented by Jancis Robinson Glass Collection

その一杯のワインを最高のものにするために必要なのは、
このワイングラスひとつだけ。

人もワインも、一様じゃないからおもしろい。どんなシーンで誰とグラスを交わすのか。自分とボトルの内が、どれくらい熟成しているのか。銘柄以外にも、その味わいを変えうる要素を挙げればキリが無い。無数にある、人とワインの組み合わせの中で、自分らしく生きるあの人たちが思わず頬をほころばせる、最高の一杯とは? 香りと味と向き合う、彼らの束の間の贅沢時間。ひとつのグラスの先に、そんないくつもの人間模様が見えてくる。

Vol.2

小田島 大祐Daisuke Odashima
シェフ

1973年生まれ、東京都出身。1970年代から”和食にワイン”の提案を行なってきた小田島稔を父に持つ。高校時代、ラグビーに熱中しながらも料理とワインの世界への関心を深めていく。大学でラクロスと出会い卒業後父のもとで働きながら1998年日本代表としてW杯出場。フランス・ブルゴーニュや南イタリアでの研修を経て、今日まで“小田島”の2代目として日々研鑽を続けてきた。自由なアイデアが生きた料理とワインの提案、スポーツマンらしくたくましい外見とは裏腹に、丁寧で柔らかい人柄に惚れ込んで足繁く店へと通う文化人も多数。JSA認定ソムリエ WSETレベル3。

今ある食事が、ワインがあることによって
さらに良くなるっていう形を意識してます

ついつい目で追ってしまうんですが、素敵なエプロンですね。

ありがとうございます(笑)。コロナの時に、このエプロンとTシャツをつくったんですよ。 “和食にワイン”っていうスローガンを掲げて自分たちを鼓舞しながら、どこまで頑張れるかだよな、と。“小田島”の名前を出さずとも、「これがウチですよ!」となったらいいなと思ってます。

カウンターの横に飾ってあるモノクロのお写真はご家族ですか?

僕の父と母ですね。1969年、モンマルトルでの写真だそうです。当時、父がフランスの和食屋のシェフとして招かれたのと同じ時期にうちの母はOLを辞めて、シベリア鉄道ではるばるフランスに留学に行っていたらしく、たまたま滞在してたホテルが一緒でそこで知り合ったんだそうです。

素敵なエピソードですね。先ほどのスローガン自体は小田島さんのお父さんが創業された時からあった精神なんですか?

そうですね。それをもっと深掘りして、圧倒的にぶっちぎって行けるかが僕のテーマです。ただ、ぶっちぎり過ぎちゃっても孤独すぎて寂しいので、仲間が欲しいなっていうのが今の正直な気持ちです(笑)。

(笑)。でも現代では共感してくださる人、多そうですけどね。

同業の方たちもそうですし、ただワインが好きで家でたしなみたいっていう方たちも、家庭料理だとかお惣菜だとかをワインと一緒に楽しんでくれる様になったら嬉しいなと。やっぱり日常にどこまでワインを広げられるかっていうのが自分の中では重要で。

今でこそそういう自由な考え方の人は増えていると思いますが、1970年代に和食とワインをニコイチで考えていたお父さんの先見の明はすごいですよね。

それはそうかも知れませんけど、実際その始まりにあったのは結構不純な動機みたいです(笑)。

えっ、そうなんですか?

元々、僕の父は趣味でロッククライミングをやっていたんです。それで「ヨーロッパの山が登りたい」っていう気持ちがあった時に、兄弟子だった道場六三郎さんが「パリの和食のお店がシェフを探してるんだけど、誰か若いやつでいないか?」 っていう風なことを言っていたみたいで。でも、言葉もわからないし、誰もそんなのやりたがらないよ…とみんな言ってたそうなんです。だけど、うちの父だけは「山に登れるし、給料も良いから食いっぱぐれもないし」って二つ返事で名乗り出て。

特に何の良い話も出てきてないですね(笑)。

(笑)。だから、元々ワインがどうのこうのっていうことではなかったみたいです。 その後、実際フランスに行って、山にも登って。僕の母とはその時フランスで出会って、結婚してフランスでずっと生活しようか、っていう話だったみたいなんです。そしたらお父さん…僕から見たらおじいちゃんですね、が危篤だっていう連絡があって急遽帰ったそうなんですけど、実はそれがまったくの嘘で。うちの父は稔って言うんですけど、おじいちゃんは「実家を料理屋に変えて 、その店を稔にやらせたい」っていうことだったみたいです。

…なんと言うか、そのおふたりには通じる型破り感がありますね。

それで父はまんまと騙されて和食屋をやることになったんですが、その時すでに周りには道場さんたちみたいに名だたるシェフが何人もいたので、同じことをやっても勝てないぞ、と。「じゃあ、自分はフランスにいたからワインでやろう」っていうのがきっかけだったみたいですね。

過去にメディアなんかで語られているスタートの美談とはちょっとズレを感じました(笑)。

まぁ、尾ひれがついたりもして格好よく語ってもらってそうなったんでしょうね(笑)。ただ、最初は別に不純でも良いと思うんですよね。自分も学生の頃、ラグビーを始めたきっかけは女の子にちやほやされたいからとかでしたし(笑)。男子校だったから結局何もなかったんですけど(笑)。 でも、それで始めてみたら太刀打ちできないからこそ、誰も持ってない武器を持とうとなる。そういう考えが当時からうちの父にはあったのかなと思います。それで種を撒いて、めげずにお店をやってきたのが今はようやく蕾ぐらいになったんじゃないかなと僕は思ってます。

親子2代に渡るストーリーになりましたね。

だから、大切なのは僕らのその気持ちを、皆さんとどこまで共有できるかっていうことなんだと思います。ワインの何が良いのかって、ワインの周りには食卓があって仲間があって、楽しい時があって…っていう所。常にハッピーな時に飲めるアイテムなんです。そこに普段の和食があったり、家族がいたりするといいのかなって。例えば日本酒は日本酒で違った楽しみがあるとは思いますけど、ワインの方がより世界中の人と幸せが共有できるのかな…というような意識があるかもしれません。それは僕がこの仕事を一生かけてやってみようと思ったきっかけでもあるんですけど。

ワインのそういった側面を意識する様になったのはいつ頃からだったんですか?

高校の時かな。その頃はとにかくお金が欲しくて、家の皿洗いを手伝ってたんです。うちはその当時は渋谷のお店だったんですけど、 洗っても洗っても終わらないぐらい忙しくて。でもその分、お客さんにはそれまで自分が見たことのないような人たちがいっぱいいたんです。それで「何でこういう人たちが来てくれるのかな?」って考えた時に、楽しい空間だとか時間だとかを求めて来ていたり、うちの父とか母に会いに来ていたり、もちろん美味しい和食とワインの組み合わせを求めたりしていて。それを見て、こういう世界も良いなぁ…と思いましたね。

幼い頃から身近にそういう環境があったのはありがたかったんじゃないですか?

そうですよね。ただ、昔から家中にワインがありましたけど、僕らはその価値がわからないので地下に置いてあるワインを転がして遊んだりしてたんですけど、それがロマネ・コンティで父にどエラく怒られたこととかはありましたね(笑)。それでも、みんながワインを楽しく飲んでるっていう記憶は小さい頃からやっぱりありました。お客さんが笑顔になってたり、うちの両親もそうだったり、みんなが楽しんでる姿が見れたから自然と「この仕事は楽しいんじゃないかな」と思うようになったんでしょうね。

実際に家業を継ぐ覚悟は早くに決まったんですか?

継いでるっていう感覚は正直あんまり無いんですよ。それよりは、父と一緒に仕事をしてるっていう気持ちです。で、僕は高校を卒業したら早々にこの仕事をやりたかったんですよね。「修行の道が…」みたいなことは聞いてたから、高校出たらすぐにそれができればなと。だけど、付属高校だったこともあって、せっかくなら大学にいけと父に言われて。「大学を卒業して、それでもやりたければやれば良いんじゃない? でもおすすめはしないよ」って(笑)。

お父さんの真意がなかなか読めないですね(笑)。

「とりあえず友達をたくさんつくれ」とも言われましたね。 それで自分で店をやったら友達が1回目はご祝儀で来てくれるから、って。「2回目、3回目以降はお前の実力だから、それでもよければ頑張ってみれば?」って感じでした。それで大学でもスポーツをやったりしてるうちに仲間が増えて、卒業してどうしようかと考えた時に、すぐにお店に入るのも良いけど、ワインの勉強は早いうちにしておいた方がいいなと思ったんです。

なるほど。その心は?

料理は10年20年続けてれば誰でも上手くなるけど、記憶と知識は早めにやっとかないと大変なことになるぞ、っていうのが父のアドバイスで。ワインを知ってて、料理もできるっていう風になればひとりでもできるし、屋台でもできるから、って。それでソムリエの資格を取ったんですけど、そこから徐々に自分の中での考えも変わっていって、海外に行きたいっていう気持ちが強くなりました。実際はいざ行こうと思うとお店を増やしたり、移転したりでなかなかタイミングが無かったんですけど、最終的に今のお店1店舗になったタイミングでフランスとイタリアに1年ずつ行かせてもらいました。

実際に行って、やっぱり見識は広がりましたか?

そうですね。僕がつくづく感じてきたのは、特にフランスは料理に対する考えが本当にリベラルってことです。だから、わさびを使おうがゆずや醤油を使おうが、それはちゃんとフレンチなんですよ。だけど、僕らが和食にソースだとかバターを使うと “創作和食”になるんです。和食ダイニングとか隠れ家ダイニングとか(笑)、謎の言葉で形容されるんですけど、そもそも料理は創作物なので、そこの認識において“和食はこうあるべきだ”とか、和食にだけ変なバイアスがかかってるのかなという気はします。日本人の良いところであり、悪しきところでもあると思うんですが。だから、今はそういうのを変えていければ良いなと思っています。別にそれは声を上げることだけじゃなくて、淡々と自分が良いと思うことをやっていくことでもあるのかなと。

小田島さんですらそうした価値観の違いの壁に直面したのなら、お父さんの創業時はもっと世の中は保守的だったでしょうね。

そうだと思いますよ。『美味しんぼ』でも昔、 “和食に合うワインは無い”っていうような話がありましたけど、確かにその当時の流通経路で入ってくるワインってあんまり和食と合わないんですよ。だけど、今は世界中のワインをインポーターさんが良い状態で輸入して下さってるので、あとはその入ってきたワインを僕ら扱う側がどれだけちゃんとしたカードとして持てるかです。そういう意味で、うちは早い段階から和食とワインをフィーチャーしてたので世界の色んなワインとのつながりがあるから、それは僕らの強みだなと勝手に思っています。今ある食事が、ワインがあることによってさらに良くなるっていうような形を意識してやってます。

ワインを開けるなら、絶対に誰かと一緒に

ちなみに小田島さんの中で特に気に入っているワインと和食の組み合わせはどんなものですか?

プリミティーヴォと青のりですね。あとは他に青のり以外にも磯のもの。海産物に対して凝縮感のあるぶどう品種のワインがなぜか合うなと思っていて、それが僕はすごく好きなんですよ。日本人同士でワインについて話している時に「なんとなく海苔のニュアンスを感じるよね」とかって思ったら、すぐそれを当ててみるんです。そうすると、「あ! やっぱりすごい合うじゃん…!」って。

すごく楽しそうなテーブルが思い浮かびますよね。そういう自由度の高い組み合わせ方を邪道だとする人もきっといるんでしょうけど。

ですね。でも、邪道かどうかは誰が決めるのか、っていうことだと思いますよ。うちの父はそういうのは全然気にしてなかったですね。SNSが流行り始めて、皆さんがフェイスブックやインスタグラムに無法地帯みたいに料理の写真をアップするようになった時も、僕はちょっと気にしてたんです。「この盛り付けだと、美味しくなさそうに写真を撮られちゃうんじゃないかな?」って父に言うんですけど、そういう体裁よりは来てくれたお客さんが楽しくやってくれることが大事だって。最近は僕もそんな風に思えて気にしなくなりました。もちろん綺麗に盛り付けたいとか、彩りを気にしようっていう気持ちはありますけど。

それはすごく本質的な考え方ですよね。

本質かどうかは分からないですけど、僕が父の考え方で一番納得できる点が、料理でもワインでもテクニックや知識は誰でも身につけられるけど、実際にこの仕事はそれだけじゃないプラスアルファのところが大きいぞ、っていう所。今もそうですけど、うちの父は料理よりも映画を観たりとか美術館に行ったりとか、自分の仕事以外の文化的な欲求を高めるようなことをたくさんしなさいって感じで。そうするとあらゆるジャンルの人が来た時にも楽しくお話ができるし、どんな調理も楽しめるし、自分の興味も増えるからって。変なミーハー心ではなくて、素敵な人と出会えるように、自分もいろんなものを見ていく方がいいのかなと思ってます。

そういうコミュニケーションも含めて食事だっていう感覚がお父さんや小田島さんにはあるんですね。

はい。 だから同じお店の空間であってもお客さんが変わるし、例えば天気や気温が違っても、毎日が変わるんです。昨日はこうだったな、なんて振り返ってると、時の流れがすごく早く感じます。ワインに関しても飲む銘柄がどうで、どんなラベルだったかとかも大事なんですけど、僕は誰と飲んだかの方が思い出しやすい。“初めてのデートであの子と飲んだワインだ”とか、“この記念日に開けたワインだな”とか。そういうことがワインを見ると思い出されるから楽しいですね。

小田島さんがご自身の過去を振り返った時に、一番思い出しやすいワインとそのシチュエーションはどんなものですか?

やっぱりフランスに行って、ブルゴーニュとか現地のワイナリーで樽から飲ませてくださった時ですね。その場の静寂と、瓶詰めされていくワインのエネルギーみたいなものに体が震える瞬間が何回かありました。その感覚はあの時しかなかったと思います。ワインはそういう場所から長い旅をしてこのお店まで来るわけですから、お客さんには良い状態で美味しく楽しく飲んでいただきたいなっていう気持ちが余計に強くなりますね。

こうしてお店を見渡すと、やっぱりこの大きな棚に並んだグラスが普通の割烹と明らかに違う部分だと思いますが、そういう気持ちの表れでもあるんですね。

そうですね。だからうちはずっとこんな感じです。和食屋で一番グラスを置きたいなっていう、あえての意思表示です(笑)。ジャンシス(ロビンソン)のグラスはうちのお店のテーマとまったく一緒で、泡を飲んでも、赤でも白でも一番バランスがいいんです。理に適ってるから、本当は全部これだけでまとめたいなっていう気持ちがあります。ただお客さんによってはワインごとにグラスの形を変えたいっていう方もいて、ワインとグラスは浮気しても自由だと思ってるので「どうぞ、どうぞ」と言ってるんですけど。

名言ですね(笑)。

大きいグラスは見栄えはするけど、ワインの温度も上がりやすかったり酸化しやすかったりで。特に香りのことを考えるとジャンシスのこの口径が一番良い気がします。気に入ってる分、割っちゃったときのショックも大きいんですけど。初めて使い始めた時に、親父が落としちゃって(笑)。

情景が浮かびました(笑)。

いいガラスだから、すごい細かくきれいに割れるんですよ。親父は「だってしょうがないだろ」って言ってましたね(笑)。

それも含めて、“小田島”の人間模様ですね(笑)。最後の質問ですが、“小田島”というよりは、小田島さんご自身の“理想のワイン時間”について聞かせていただけますか。

…ワインを理由に、人が集まる時ですかね。僕、試飲以外にひとりでワインを飲むことって無いんですよ。ワインを開けるなら、絶対に誰かと一緒。ちょっと良いことがあったりすると、「あのワインを開けようか」とかってなるじゃないですか? そうやって集まって、開けたワインの感想を言い合ったりできることが嬉しいんです。そういう時ってワインの値段がどうであれ、楽しい記憶しか残らないんですよ。そういう楽しい時に飲めるワインが一番好きです。人がいるからワインがあるんだっていう感覚が、自分の中にはある気がしますね。

ネグロアマーロとプリミティーヴォを混醸してつくられる、イタリア原産の「コレッツィオーネ・チンクアンタ +5」。「僕がイタリアに渡った時に働いていたレストランがあったのが、ブーツの形で例えるとかかとの部分に当たるプーリアっていう場所。プリミティーヴォは、そこで飲んでいたワインの品種のひとつです。この銘柄は果実味がしっかりありながら、色んな食材に合うのが好き。和食との相性が良いのはもちろん、庶民的なところで言えばソースなんかにもよく合います」。

小田島
/ restaurant ODAJIMA

東京都港区六本木7-18-24
03-3401-3345

  • DINNER 18:00-22:00
  • CLOSE
    Saturday,Sunday and Holidays

odajima.info

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