「美しさだとか斬新な味っていうのは、本当の美味しさとは別だったんだ」- ドメーヌ・アンリ・ルブルソー –
フランス各地を回った長いようで短い旅路も、とうとう最後の晩を迎えた。
目の前にはグラスに注がれた一杯のワインと、浅いプレートに盛り付けられたポーチドエッグ。
英国の朝ごはんのようなやつではない、赤ワイン仕立てでベーコンやマッシュルームといくつかの具材が煮込まれたソースのかかった、素朴な料理だ。
今回の旅を通して昨今の円安がわかりやすく実感させてくれる出費は相当痛かったが
それでも当初は最終日のディナーくらいはコース料理で派手にやろうと考えていた。
だけど、今はテーブルの上に遠慮がちにたたずむアラカルトこそが、締めくくりにふさわしいと思えてならない。
この地で出会った、あるシェフの手がけたひと皿だ。
時を遡ること幾日か、私と連れ立った友人はフランス最後の目的地として、ブルゴーニュを訪れた。シャブリやヴォーヌ・ロマネ…いくつか名の知れた場所をまわったが、そこかしこに広がる一面のぶどう畑が、もっともよく見た風景だ。
この地がなぜワイン好きにとって特別なのか、あの景色を見ればきっと誰もが理解するだろう。


一言でブルゴーニュと言っても、その広さは日本で言えば中国地方に近く、1日でそのすべてを見て周るのは現実的じゃない。
行きたい場所に目星を付けたら、数日かけて行脚するのが賢明だ。
宿もその都度変えようかとも一瞬思ったが、初日の夜にパリからボルドーへと移り、フランス各地を怒涛のプランで回ってきた今の私たちにとって、「連泊」の響きは何よりも魅力的なものだった。
友人が以前にブルゴーニュを訪れた際に宿泊し、良かったと話す宿に私たちは数日の拠点を置くことに決めた。

ラ ロティスリー デュ シャンベルタン。ジュヴレ・シャンベルタン村の中心部に近く、牧歌的な石造りの建物に快適な部屋、そしてミシュランひとつ星を獲得したレストランが併設された、きれいだが程よくカジュアルで嫌味のないホテルだ。
自慢じゃないが私は渡仏して早々、ホテルでのちょっといい食事の最中に迷わず手を挙げてギャルソンを呼ぶくらいにはルールやマナーに疎い人間だ。
美味しいものは楽しみたいが、できるだけ肩肘張らないところだとありがたい。
(同席した友人にはただただ申し訳なく思っている)
件の料理人は、そこのオーナーシェフだった。
ホテルと同様に気取らず、でも心地のいい彼の料理は、この旅で食べたどんなものとも違う美味しさを感じさせてくれた。
冒頭で触れた最後の晩餐に臨む少し前、ディナーの仕込みの合間でその男、トマ・コロンブと話をする機会があった。
「若い頃は、そりゃあいろんなことを試してみたよ。“甘辛い味付けにしてみたら、新しいんじゃないか!?”、“たくさんスパイスを使って、もっと複雑な味の表現ができるはずだ!”、“もちろん、見た目もしっかり手の込んだ美しいやつにしてやろう”って具合にね」。
滞在中に食べた料理のお礼を伝えた後、偶然彼の身の上話になると、気さくな人柄のトマがどこかバツが悪そうに笑って言う。
そして、その後にポツリとつぶやいた言葉を、私たちは聞き逃さなかった。
「でもね、ロマネ・コンティのオーナーに言われたんだ。『本当に、本当に美味しかった。だけど、この味はブルゴーニュには合わないよ』ってさ」。

私たちがブルゴーニュで過ごす最終日の朝、友人と私はせっせと支度をすると、最低限の荷物だけをバッグに詰めて宿を出た。目指したのは最後の目的地として当初から考えていたワイナリー、ドメーヌ・アンリ・ルブルソーだ。
宿から1.5kmほどという距離は、石畳の街並みの余韻を噛み締めながら歩いて向かうのにはちょうどいい。しかし、もちろん立ち寄りを決めた理由はそこじゃない。
銘醸地として知られるジュヴレ・シャンベルタン。(フレンチのマナーはろくに知らない私もこの名は知っていた)
デュガ、ルソーに続いて同地の御三家のひとつとして数えられるようになり、広大なグランクリュを有するというトップ生産者。
そう知ってからは、訪ねずにブルゴーニュを去るという選択肢は私たちの中から消えていた。

「アンリ・ルブルソーの作付面積は13ヘクタールくらいなんだけど、そのうちの10ヘクタール以上がグランクリュなんだ。他じゃ、ちょっとあり得ない数字だよね」。
ワイナリーの敷居をまたぎ、辺りを見回していた私に、スタッフのひとりが話しかけてくれた。
彼の奥には、見渡す限りのぶどう畑。そのまま西洋画になりそうな田園風景が広がっている。


「自然が豊かだからね。丘の上には深い森もあって、歩いてるといろんな動物に出くわすよ。うさぎにリス、鹿に猪とか。網をかけてるのに、上手にくぐり抜けて来てぶどうを食べていくんだ。なんでわかるのかって言うと、彼らがぶどうを食べた後は茎だけがきれいに残ってるんだよね。美味しい粒だけを食べていくんだ」。
何せ銘醸地で暮らす動物だ。舌が肥えていたってしょうがない。
醸造所へと向かおうとする彼に、「畑のぶどう、僕も食べていい?」と、人類のプライドは捨てて聞いてみる。
「いいけど、まだ熟し切ってないから酸っぱいよ?(笑)」と言われ、私は渋々諦めて彼の後を追った。

道中で、もうひとりの男が合流した。こちらは一転、作業着姿ではなくスーツを着ている。
最初に口を開いたのは元いたスタッフだった。
「紹介するよ。彼はアルノー。うちのホルダーでもあるEutopia Estates、つまりワイナリーの株を半数強保有する会社のコマーシャルディレクターだよ」。
予想外にエグゼクティブな登場人物にたじろぐが、友人は平然とした顔をしている。なんでも、相続税の高いフランスでは代替わりの際に株式が売られることは珍しくないらしい。
現在アンリ・ルブルソーの株式の大半を保有しているのがこのアルノーの勤める会社のボスで、電気通信会社を筆頭に広くビジネス展開をするコングロマリットの実業家、ブイグ兄弟だ。
そう聞くと、なんだか大人の話に聞こえてしまうが、このブイグ兄弟はフランスの名だたるワイナリーが次々と海外資本に買われてしまっている昨今の状況を憂いて、フランスの伝統を自国に留めるために、自ら買収に踏み切ったんだとか。
「ブイグファミリーの会社はすごく大きいけど家族経営みたいなもので、全員がワイン愛好家なんだ。もちろん、僕もね」とアルノーがにこやかに言う。
そもそも、このワイナリーのルーツは1782年にまで遡り、創始者のジャック・ルブルソーがディジョンでぶどう栽培を始めたのがその興りだという。
その後、彼の子孫である時の将軍だったアンリ・ルブルソーが現在の場所に拠点を移し、ワインづくりを本格化させたそうだ。
その後は1980年代にジャン・ド・シュレルという人物がドメーヌを継承し、以降はシュレル家が世代を超えて運営していたところに、先のブイグファミリーの資本が入り、共同オーナーとなったというわけだ。

正直、物見遊山でただ美味しいワインが生まれる場所を求めてここへ来た我々なので、そうしたエコノミックな話にはいまいちピンと来なかったが、醸造所へ足を踏み入れるとその意味が少しわかった。
外から見てクラシックな石造りだと思っていた大きな醸造施設。その中に広がる広大な空間には、清潔なステンレス製の巨大タンクをはじめ、素人目にも立派とわかる設備が揃っていた。どちらかと言えば閉鎖的なブルゴーニュにおいて、ここまで近代的な設備は珍しいらしい。
「ここは3層になっていて、地下の1、2階はカーヴになってるんだ。地下1階は去年のヴィンテージで、その下の階にあるのは今年のもの。地下2階の方が少し温度が低くて、熟成されて瓶詰めを待つタイミングで上の階に移すんだ」とカーヴ責任者が言う。

もちろん、その大量のワインの移動はエレベーターで行う。
なんでも聞くところによると、パリのノートルダム大聖堂で数年前に大規模な火災が起きた際、修復工事を手掛けた建築家がこの施設も手がけているんだとか。クラシックな醸造施設内がこれだけモダンだなんて、誰が想像できようか。ワイナリーは文化であるけれど、もちろんビジネスでもある。こうやって資本が正しく使われることで、我々に美味しいワインが供されているのか。
とは言え、ビカビカのハイテクな内装ではないところに、伝統を重んじる彼らの気質が滲んで見える。ブルゴーニュで採れた石でできているというカーヴの内壁に触れてそんなことを思う。
あえて空けられた石の隙間からは、通気用に自動制御で開閉するガラス板が覗いていたが。
変えるべきものと、変えちゃいけないもの。完璧な答えは誰も持っていないからこそ、その判断にはそれぞれのセンスが大きく反映されるのだろう。
そんなこちらの考えを察してか、スタッフの彼がつぶやく。「それは畑にしても同じでさ。テロワール=土質だって言う人は多いけど、どれだけ土が良くても人的介入がなかったらいいワインはつくれないよ」。

静かな言葉に、彼の情熱が垣間見られる。そんな作業着姿の彼とスーツ姿のアルノーが並んでいる光景にも慣れてきた頃、アルノーが少しだけ自分の話をしてくれた。
「僕のお父さんも醸造家なんだけど、こういう仕事をしてるからワインを飲むときには普段からテイスティングみたいになっちゃうんだ。でも、僕はそうなりたくなくて。好きな仲間や友達といい雰囲気で飲んだら本当に美味しいワインも、次の日仕事で飲むと『あれ…こんな味だったっけ…?』ってことがよくある。やっぱり好きなワインはプロフェッショナルとしてよりも、ただのワイン好きとして楽しむのが一番だよ」。
横のスタッフも深く頷き、「ワインは分かち合うものだからね。友達同士が集まって、話をしながらグラスを傾ける時間がやっぱり僕も好きだな」と笑う。
が、ここまでは足並みが揃っていたふたりだが、味の好みになると意見が割れた。
いわく、「僕はボルドーの人間だから抽出のしっかりした、タンニンを感じる力強いワインが好きなんだ」と言うアルノーと、「コート・ド・ニュイと言えば、凝縮感はあるけど繊細で柔らかく、滑らかなワインだよ。僕はそういうワインが好きだし、それで長熟するポテンシャルがあるのがやっぱりいいワインだと思う」と語るスタッフ。
本場フランスでも、やっぱりワインの好みは人それぞれだ。
かく言う私にも、このワイナリーではこれと決めたワインがすでにあった。
ジュヴレ・シャンベルタン。
宿に着いた初日の夜に開けた果実感と酸が心地いい赤ワインで、もちろん上質なピノ・ノワールだ。タンニンで言えば、ちょうどふたりの好みの中間くらいかな?
それがこの度の訪問を後押ししたワケだが、それを伝えると服装も味の好みも対称的なふたりはともに頷いた。

「ペアリングするならカモのマグレか、ポーチドエッグがいいよ。カモは蜂蜜とかオレンジとかみたいな甘いソースじゃなく、シンプルなやつ。ポーチドエッグはピノ・ノワールの方のね」とひとりが言うと、もうひとりも続ける。
「やっぱり卵は間違いないよね。ロティスリーのポーチドエッグは特に美味い。味のストラクチャーもしっかりしてるし、酸味も効いていて。シンプルに見えて実はものすごく複雑な味だよ。あれが一番かな」。

そんな満場一致のリコメンドを経て、宿に戻った私たちはウワサのポーチドエッグを前にして今一度、ジュヴレ・シャンベルタンのコルクを抜いたワケだ。
料理を前にして、ワイナリーから戻って話したときのトマの言葉が再び頭をよぎる。

「昔の僕はいろんな要素を詰め込んで、手の込んだ料理をつくることで満足してたんだ。それから何年かして、あるときロマネ・コンティが主催するディナー会にシェフとして呼んでもらえたんだ」。
創作意欲の赴くまま、テーブルと皿の上で自己実現を繰り返してきたトマにとって、それがどれだけ名誉なことだったのかは想像に難くない。具体的なメニューは忘れてしまったけれど、彼は全力で腕を振るった。技巧も具材も惜しまず、スパイスもふんだんに使って。
列席者たちはそれぞれトマの料理を楽しんでいるように見えた。そしてディナー会も終盤が見えてきた頃、トマはオベール・ド・ヴィレーヌに声をかけられた。当時のロマネ・コンティのオーナーだ。
「すごく美味しかったよ。本当に美味しかった。でもね、ブルゴーニュのピノ・ノワールはああいう強い味とは合わないんだ。酸味や甘みが強いソースがかかった、ああいう味とはね」。
誰もが認めるワインの大家の長にそう言われたときのトマの心中を想像すると、胸が痛くなる。
「やっぱりショックだったよ。だけど、同時にすごくしっくりもきたんだ」。

トマはさらに続ける。
「僕が小さい頃、おじいちゃんとおばあちゃんの家で過ごすことが多くてさ。当時は今みたいにスーパーもなかったし、農家さんから届いた野菜や、自分たちが育てた牛や羊を食べていた。今になって思えば、あの家庭料理はいかにシンプルで美味しくできるかを大事にしていたんだ」。
ブルゴーニュの、少し昔の物語。ここへ来て数日だが、この街と人々に触れてきた私はその光景が想像できるような気がした。
「そういうものが自分の根底にあったはずなのに、料理人になってからは気づけばエステティックな料理ばかりを追いかけるようになっていたよ。それこそ絵画のような盛り付けだとか、薄く焼いた食材をピンセットで何分もかけて置いたりね。だけど、そういう美しさだとか、複雑で斬新な味とかっていうのは、本当の美味しさとは別の話だったんだ。偉大なワインをつくってきた人だからこそ、ヴィレーヌさんの言葉はただの批評じゃなく、本質的なアドバイスなんだと思えたよ」。
それ以降、徐々にトマの料理から華美さは消え、ドレサージュに費やしていた手間は食材と向き合う時間へと変わった。


「僕にスペシャリテはないけど、素材を大事にして、最高の状態で料理にできるのが自分の強みだよ。今週は鳩だったけど来週は雌鶏だし、季節によって変わる素材を楽しんでる。それで食べたいものをつくれるのが、シェフの醍醐味だね」。
穏やかに笑うトマに、今日のディナーでもう一度ジュヴレ・シャンベルタンを開けたい旨と、その生産者たちからペアリングにトマのポーチドエッグを勧められたことを伝えた。
「アンリ・ルブルソーのみんなは毎週のように来てくれてるからね。テイスティングや食事会に呼んでもらうこともあるよ。ジュヴレ・シャンベルタンは名前の通りこの場所を象徴する、お手本のような味わいだと僕は思うな」。

気づけば先ほどまで談笑していたトマ以外のスタッフたちが、徐々に仕事の支度を始めている。これ以上は邪魔をしそうだったので私は一度部屋に戻って、ディナーの時間にまたレストランへとやって来た。
オーダーを取ってくれたのは別のスタッフだった。厨房の奥ではトマが忙しそうに料理に勤しんでいる。

素朴な見た目のポーチドエッグにフォークを入れると、中からとろりと黄身が溢れた。ソースと絡めて口に運ぶと、赤ワインの香りがふわっと鼻を通り抜ける。
派手さはないけれど、肉や卵の旨みが優しく混ざり合い、ひと口ごとに気持ちが満たされていくのを実感する。
気づくとグラスの中は、もうほとんど空だ。
先日飲んだときと、変わらず美味しい。
でも、どこか新鮮に感じられるジュヴレ・シャンベルタン。
「ワインは分かち合うもの」。そう言ったスタッフの顔を思い出す。
ワインは人の縁をつなぐと、フランス最後の夜に知った。
