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チリ
チリ サウス

ペドロ・パッラ・イ・ファミリア

Pedro Parra y Familia

世界的地質学者がペドロ・パッラ氏待望のワインブランド

「ホーム(地元)のようなテロワールは他に存在しない!」

美し過ぎる鮮烈な果実味とセンセーショナルなタンニン

45年の歳月、世界9カ国2万5千箇所の地質調査でたどり着いた一つの答え


クロ・デ・フ の共同オーナー、世界が最も注目するテロワリスト「トペドロ・パッラ氏」が家族の為に立ち上げた究極のドメーヌが「ペドロ・パッラ・イ・ファミリア」です。

ガリシアやバローロ、モルゴンを髣髴させる未知なるテロワールに注目したパッラ氏が南部ブドウに目を向け産み出す、世界のワインファンが注目するテロワールブランドです。


15年間のコンサルティング業を経験する中で、フランスのように“息子や娘と一緒に育てていく”そんなワインを造ることを大きな目標としてきました。そして2015年待望の自身のドメーヌを設立。世界各国の土壌を見てきたパッラ氏が、最後に選んだのが生まれ育ったチリ南部、冷涼なコンセプション近隣の沿岸部、無灌漑・無農薬で育てられてきた古木が残るビオ・ビオ、イタタ、カウケネスの沿岸部でした。3億2千年前の石英が多くまれた花崗岩質土壌と冷涼な気候、古木の存在。パッラ氏が理想とするテロワールがそこにはありました。チリ南部の田舎町、長年に亘る大手資本の搾取やパルプ産業による植林から、200年もの間、大切に畑を守り続けた勇敢なヴィニェロン達の功績を称え、また彼らを守る事をライフワークとしワイン造りを行います。

パッラ・ファミリー パッラ・ファミリー

ワインスペクテーターが「現代のインディー・ジョーンズ」と呼ぶテロワーリスト

【経歴】

ワイン用ブドウ栽培の中心部、チリ南部の街、コンセプション(2010年に大地震があった地区)の法律家の家庭に誕生。大学で農林業におけるリモート・センシングを学びます。卒業後はジャズのサックス演奏者として活躍。その後、テロワールのスペシャリストとして転身を遂げます。

 

1997年:叔父の仕事である精密農業の研究を手伝いを初めその才能が開花、同年フランス大使館の奨学金でモンペリエ大学へ留学(1997-1998)します 。専攻はブドウ栽培学、地質学で、コート・デュ・ローヌのテロワール解析で修士号を取得。卒業後は一旦チリに戻り、テロワールという考えを持ち込もうしましたが、当時コンチャイトロの醸造家エンリケ・ティラド氏以外、パッラ氏が研究を行ってきたアルト・マイポ地区の研究内容に耳を傾ける者はいなかったといいます。この時パッラ氏は『まだ自分の理論では、プロとしてキャリアを進めるに十分でない』とフランスに戻り勉学を続ける事を決意します。

 

2001年: パリ国立農業研究所(2001-2004)で博士号を取得。地質学、地表学、土壌の研究を更に続けていきました。博士課程修了時には、ブルゴーニュ、ボルドー、ローヌにて、フランスで最も権威のある土壌学者、ミッシェル・クロード・ジェラールやボルドーの地質学者Mピエール・バシュレのもとでキャリアを積み、偉大なヴォーヌ・ロマネの生産者ルイ・ミッシェル・リジェ・べレール氏に出会います。この出会いにより、ブルゴーニュの神秘の世界に触れていきます。研究の終盤には、チリの若く情熱的な醸造家、デ・マルティーノのマルセロ・レターナル氏にも出会います。その他、アレキサンドラ・マニエール・ラポストール氏やカーサ・ラポストールのコンサルタントでもあるミッシェル・ローラン氏に出会う機会に恵まれていきます。人が人をつなぐとはまさにこの事。また、チリの偉大な醸造家として、パッラ氏がマイポ・ヴァレーのテロワールについてまとめた博士論文の審査の為にパリへ招かれたモンテスの醸造家、アウレロ・モンテス氏とも交流を深めていきます。

 

2004年:チリへ帰国。この当時は、まだチリのワイン産地地図にリマリ、エレキ、カウケネスが記載されていませんでしたが、テロワールを表現したブルゴーニュ・チリを目指しブルゴーニュの造り手と共にアリストスを立ち上げます。しかし、当時はまだチリでは品質の高いピノ・ノワールが栽培されていなかった為、まずはボルドーブレンド、シャルドネをうみ出し、シャルドネが2008年デキャンターで最高点である20点を獲得するなど高い評価を獲得しました。

 

2007年: アルトス・ラス・オルミガスのオーナー醸造家である、アルベルト・アントニーニ氏とチリのワイナリー、モントグラスのコンサルタントをしていたことから出会い意気投合、交流を深めます。そして『アルゼンチンは素晴らしいが、ワインに複雑味が欠ける。我々には土壌に詳しい専門家が必要だ』とアントニーニ氏より、オファーを受けオルミガスに参画、2008年よりテロワールプロジェクトを始動してきました。

冷涼な南部チリ、特別な花崗岩土壌と古木の存在

パッラワインが生まれるのは、首都であるサンティアゴから400km南に離れたチリ南部の冷涼なワイン産地です。土壌はシストと花崗岩の素晴らしい組み合わせから成り、非常に古い地層が存在します。(200〜300万年前)

サンティアゴ中心に近代のワイン文化が広がったチリでは、これら南部の地域は地理的にも大きく離れていた事で、ある意味取り残された形で古い畑が残ります。

ブドウが栽培されるのは、南部の沿岸部の影響を受けるパッラ氏の故郷でもあるコンセプションに近いビオ・ビオ地区やイタタ地区です。この地は冷涼な気候を持ち、降雨量もある地域ですが、パッラ氏が求めるエレガンス、テロワールを表現したワインを産むに理想的な気候条件が揃っていました。更に、その土壌はチリのテロワールを知り尽くした氏を驚かせるほどの素晴らしい可能性を持つ大地でした。

パッラ氏は、「今でこそ有名産地となったバローロ、モルゴン、更にはガリシアにも類似するテロワール環境がここにはあり、この地も間違いなくそれら世界の銘醸地と肩を並べる日が来る、そんな類稀なるテロワールである」と確信しています。

 

 

 

南部チリの地層 南部チリの地層

自然派だが、ワインはクリーンであるべき!

パッラ氏のブドウ栽培は至ってシンプルです。

彼のワインは自然派の中でも、非常にクリーンな質の高いワインで、非常に強いミネラルと土地の特性を描き出します。

使用するブドウは、チリ南部で小規模のワイン農家が200年以上もの間、代々ブドウ畑を守ってきた畑の中でも良質なブドウを作る栽培農家からブドウを高値で購入します。南部の住人たちは、資本も少なく農薬等や灌漑を行えなかった事から、彼らの畑は昔から無農薬での栽培が行われ、ブドウ樹はワイヤーを使わない背丈の非常に低い”ブッシュバイン”仕立てで育てられています。

これらの希少なブドウ樹の多くが、山の斜面や高低差の激しい丘陵地で栽培され、見た目には畑と思えないような野性味溢れたものもあります。

樹齢は古いもので100年を超え、決して今から再生できない希少なブドウ畑となっており、チリ南部の美しいテロワールを描き出すワインが生まれる事から、今ワイン業界で最も注目されるチリのワイン産地となっています。パッラ氏は、これらの地で代々畑を守ってきた農夫達に、正しい畑の栽培の手ほどきをすると共に、この世界レベルのワインを産み出すことで、農業に従事する畑の持ち主が、パルプ業者へ土地を販売したり、大手ワイナリーへブドウ畑を販売してしまうことなく、自信と誇りを持ってブドウ栽培を続けられる環境造りを行う事をライフワークに考えています。

パッラ氏のワインが生まれる3地区

パッラ氏が45年の歳月、世界9カ国2万5千箇所の地質調査でたどり着いた一つの答えとして選んだ三地区。


◆カウケネス:マウレ地方の中心地で、パッラ家では、マウレ南部の沿岸地域に位置する畑からカリニャン、シラー、カルメネールといったこの地に古くから栽培されているブドウ品種を使用します。

日照量はありますが、爽やかな気候で、年間450〜800ミリ程の雨が降ります。

ブドウの樹齢は30〜60年と古いものが多く、地形は緩やかな傾斜があり、赤い粒状の花崗岩質土壌で、その中に豊富なクオーツ(石英)が含まれている事が特徴です。

 

◆イタタ:古い歴史を持つワイン産地です。南部中心の町、コンセプションからは車で35分程の距離に位置しています。この地では、古木のサンソーやマスカット、パイス、マルベック、更にはカリニャンが栽培されて樹齢の古いものは100年を超えるものも存在します。パッラ家では、サンソーやパイスをこの地区から収穫します。

ブドウ畑の地形は、傾斜が30度程にもなる地区で、海岸沿いということで海の影響から冷涼な気候を有します。

土壌は赤みがとても強く、粒状の花崗岩質土壌でそこに含まれるクオーツは非常に細かくいものです。

 

◆ビオ・ビオ:この地は、チリワにとって歴史的な街で、約300年前レレという町から全てが始まりました。ビオ・ビオ地区にはこの地区分断する形で走るビオ・ビオ川があります。当時ヨーロッパから侵略してきたスペイン人と原住民間の戦争が生じた際に、戦いの境となった川です。この地には、今も所々に古いブドウ木が残り、大切育てられている風景は、パッラ氏にとっては美術館のような場所になっています。フロリダとサン・ロセンドの地区より、パッラ家では樹齢120年にもなる古木のサンソーとそしてマルベックを収穫します。

ペンコポリターノ

ペンコポリターノ:チリ南部イタタ地区の町の名前

イタタ、カウケネスのブドウの平均樹齢は古いもので100年を超えます。これらの地域特性を表現するため南部の町の名前が使用されています。