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フランス
フランス ジュラ

ドメーヌ・ラベ

Domaine Labet

フィネスとミネラルの素晴らしい調和。
ジュラのスティルワインは限りなくテロワールの味わい

ジュラで最初にスティルワインに挑戦した頑固親父

■ジュラの地で初めてスティルワインを造った変わり者

ジュラ地方で初めてスティルワインに目を向けた生産者として、また有機栽培のパイオニアとして広く知られるドメーヌ・ラベ。そんなラベの歴史は19世紀に遡ります。
1880年、初代ラベ氏がグルス(ロタリエ近郊の村)に生活拠点を構え、2ヘクタールのブドウ畑、酪農、小麦の畑を耕しながら生計を立てていました。3代目まではこのように農業の一環としてワイナリーを所有し、特殊ワインやバルク売りをしていましたが、1974年、4代目で現在の当主アラン・ラベ氏の手により、本格的なワイナリーへと変化します。
アラン氏は独学でワイン造りを学ぶうちに、「ジュラの地質は素晴らしい。ヴァン・ジョーヌやヴァン・ド・パイユのようなジュラ特有のワインは、それはそれでもちろん素晴らしいが、酸化させることでテロワール本来の良さが失われてしまうのではないか?」と考えるようになります。そして、当時ジュラでは誰も造っていなかったスティルワインに興味を持つようになりました。

 

■テロワールを追求するワイン造りと自然農法
実際にスティルワイン造りを始めた彼は、ジュラの地が地質学的に非常に複雑で多様性に富むことに気づきます。
そして、「ジュラという類い稀なテロワールを持つ地で、それぞれのテロワールが持つ特徴をきちんと出せるワインを造りたい」との思いを新たにしました。「パーセル(区画)毎に収穫、醸造、瓶詰め」によるテロワールワインの追求の始まりです。

もちろん農薬は一切使用したことがありません。アラン氏がワイナリーを継いだのは1970年代。それは高度経済成長期、「農薬・化学肥料・薬剤」を大量に使用した近代化農業が推進され、実際、農作物の被害が激減、生産性が向上などといった、みせかけの効果が出始めていた時代です。そんな中、彼だけが時代に逆行するかのように環境に配慮した自然な農法に目をむけ、一切農薬や除草剤等の化学物質を使わないワイン造りに専念していたのです。周囲の人々からは完全に「変人」扱いされていたといいます。(そして多分今でもそう思われているとは本人談。)

頑固な情熱家の父

「ドメーヌ・ラベ」の4代目で現当主、アラン・ラベ氏。
醸造学などワイン造りに関しては一切学校で学ばず、父や祖父から受け継いだものだけを元に全てを独学で習得し、「ジュラの地で初めてスティルワインを造る」という偉業を達成しました。しかも完全な有機栽培で。
こんなことを成し遂げただけあって、相当な頑固でわが道を行くタイプ。曲った事が大嫌いで、何事も発言も単刀直入、かつ好奇心旺盛。シャンボール・ミュジニーのワイナリー、「アンリ・フェレティグ」のアンリと親友です。

「ドメーヌ・ラベ」 オーナー兼醸造家、アラン・ラベ氏 「ドメーヌ・ラベ」 オーナー兼醸造家、アラン・ラベ氏

温和な息子、ジュリアン

アランの長男、ジュリアン・ラベ氏。1997年、父親から最上区画を含む一部を譲り受けて「ドメーヌ・ジュリアン・ラベ」を立ち上げ、独自のスタイルでワインを造っています。醸造学科出身で、実家に戻るまではブルゴーニュのラモネに滞在していました。父親と似て頑固なところが見られるものの、人の意見を最後まで聞き、物腰は非常に柔らかい。
ワイン造りについては、父親同様やはりテロワール第一に、彼自身の哲学を持っています。10種類以上ものワインがあるのはそのため。「キュヴェごとの生産量は1000本前後しかないが、色々なテロワールが楽しめるからとても面白い」とのことです。
また、2009年には完全ビオロジック、および認証取得のため、自分の区画は実践に踏み切り、2009年ヴィンテージからはSO2無添加のワインへと切り替えました。

「ドメーヌ・ジュリアン・ラベ」 オーナー兼醸造家、ジュリアン・ラベ氏 「ドメーヌ・ジュリアン・ラベ」 オーナー兼醸造家、ジュリアン・ラベ氏

ジュラのテロワールを忠実に表現する

ジュラにおけるテロワールの特徴を知り、それをワインに忠実に表現すること
「ブドウは自然の力で出来上がるものであるが、その果実に人の力が加わることによって、初めて飲み物として成立するものであり、勝手にワインができるわけではない。人間の叡智があって(醗酵から熟成まで注意深く観察をすることで)、初めて素晴らしいワインが完成するのである。」

内陸性気候

地図を見れば一目瞭然ですが、ジュラ地方はブルゴーニュのボーヌからマコン地区にかけて南北のルートのちょうと東側に当たり、標高が高く、斜面の多いジュラ山脈に含まれるため畑の立地条件は最高ともいえます。

地質時代の複雑な土壌

非常に複雑なジュラの土壌
トリアス、ジュラ紀に由来する石灰岩、泥灰岩土壌、先生代第三紀斬新世、オリゴシーンの礫岩土壌、岩石、砂岩質、砂質の土壌があり、表面上は泥灰質と粘土質の違ったものが各地に見られる。ジュラ地区は非常に複雑な土壌が入り混じるため、地質によってかなり味わいに変化が出ます。

 

ラベの土壌
ラベの所有するテロワールは、特にマールと粘土が多く粘性も強いため、土地を耕すのには非常に苦労を要する。しかし、土壌はかなり肥えており、石灰岩盤からくるミネラル成分と混ざってさらに複雑性が増します。

 

また、石灰質土壌のパーセルも多くを占めるのが特徴です。ジュラ紀の石灰岩と言ってもカテゴリーは幅広いですが、基本的には水捌けが非常によく、春先頃から気温が上がり始めると一気に地表温度も上がります。このテロワールからは、硬質なミネラル感を持ち、時にはシャープで張り詰めた印象の味わいや、乾いた石のようなゴツゴツとしたミネラル感を舌で感じることもあります。
これはラベの得意とするワインのスタイルでもあるが、テロワールごとに表現されたワインは、時には直線的で輪郭のはっきりした、明確かつ軽快で、尖ったミネラルを感じられるワインが造りだされる。

なんと30種類以上のワインを醸造!

テロワールごとの特徴をきっちりと出すことを追求しているため、息子のものと合わせると、なんと30種類以上もの違ったワインを醸造。その中で特殊ワインは3つのみ(マールを含む)。引継いでから10数年、やっと環境も整ってきた1986年から、ブルゴーニュのように区画ごとに醸造する方法を開始し、1992年からアイテムを少しずつ増やしてきました。もともと一つ一つの区画が小さいので彼の造るスティルワインは全部で20近くあって、生産量も年間250本~1200本とごくわずかです。

多彩なラインナップ 多彩なラインナップ

“変人”と呼ばれながら続けた自然農法

初代から続く伝統的な農法を続けていますが、現当主アラン氏になってそれはさらに徹底されました。実は彼は、ジュラで最初に「有機栽培」を実践した人物。1970年代、農薬が推奨された時代にあってこの農法に反対だったのです。
彼は当初、受け継いだ2ヘクタールの畑を何年もかかって徹底的に耕し直しました。化学薬品を一切使用せず、畑を耕すことによって地中の微生物の動きを活発にすることを目指してしていたのです。こうして畑を整えることに費やした時間は、実に12年。(実際にパーセル毎の醸造を始めたのは1986年になってからです。)
“生産性”は下がりますが、エコシステムはもちろん、人にもワインにも優しい方法をわざわざ変える必要はない、と考えて有機農法を徹底したのです。この一貫した姿勢で、今ではジュラ地区においてはリーダー的存在のワイナリーとして一目置かれています。

自然農法を実践する畑 自然農法を実践する畑

区画ごとに収穫、醸造、瓶詰

こうして収穫されたブドウは、ストレスを避けるために非常に丁寧に、ゆっくりと圧搾され、テロワールと区画ごとに醸造されます。当然ながら人工酵母は一切使用せず、本来のテロワールからくる、ブドウに付着した自然酵母によって低温でゆっくりと醗酵されます。
熟成は228リットルの樽(新樽は一切使用しない)で澱とともに熟成されます。常にウイヤージュを行い、必要に応じてバトナージュを行ったりすることもありますが、決まった手順というのはなく、テロワールやその年の特徴に応じて臨機応変に対応しています。

古木、厳しい選別・・・低収量

樹齢の高い樹が多いため、必然的に収穫量は少ない。
平均収量は20~40hl/haで、収穫は全て手摘みで行われます。それも収穫前に畑でかなりの房を落としてしまい、収穫後もさらに選別にかけるという徹底ぶり。必然的に、収量はぐんと減ることになります。

 

健康なブドウ 健康なブドウ

数々のレストランに名を連ねる!

ジュラ地方トップクラスの造り手としてフランスでは非常に有名であり、星付きレストランのワインリストにも名を連ねるラベ。ですが、アラン氏は一切コマーシャルに興味がないため、レストラン等への販売先の調査は不可能です。(造り手自身が知らない!)

また、コンクールや評価のためのサンプル送付は一切行っておらず、父のアラン氏はビオロジックの認証も一切興味無し。息子ジュリアンのワインのみ、認証取得予定です。