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【シネマ×ワイン】ありがとう、ダニエル・クレイグ。『007』と、幻のスパークリングワイン

【シネマ×ワイン】ありがとう、ダニエル・クレイグ。『007』と、幻のスパークリングワイン

映画好き&ワイン好きのライターがおくる「シネマ×ワイン」。原作に登場しながら映画化されなかった1本のスパークリングワイン。

(執筆:2022年春)

ついにダニエル・クレイグが舞台を下りた。
昨年末に公開された映画『007ノー・タイム・トゥ・ダイ』の話である。映画館でその最後を見届けて目頭を熱くした方も多かったのではないだろうか。この作品をもって6代目ジェームズ・ボンドは見納めとなったのである。

私がはじめて観た007は『黄金銃を持つ男』(1974)で、演じたのは3代目のロジャー・ムーアだった。新聞のテレビ欄で放映情報を知り、VHSに録画して夢中になったのを覚えている。当時、私はまだ中学生だった。金曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場だったか…。当時は民放各社がさまざまなタイトルの映画を放映してくれていた。そんな中で自分の生まれ年よりも古い、はじめての007に出合う機会に恵まれたのだった。

ワクワクした。
ジェームズ・ボンドが操る特殊兵器、カッコいい主人公に綺麗な女の人、オシャレなセリフの数々…。アクションものが大好きな中学生に、最高の刺激をくれる映画だった。
しかし私は、その後もテレビで放送されたであろう別作品を見逃し続け、ジェームズ・ボンドと縁のないまま時は流れた。再び007に巡り会ったのはだいぶ大人になってから。またもやテレビ放映での再会だった。6代目ダニエル・クレイグが初主演した『カジノ・ロワイヤル』(2006)だ。

調べてみるとダニエルの主演はファンからすんなりと受け入れられた、というわけではなかったようだ。
ブルーの瞳、歴代に比べて小柄な体形、さらに髪の色。「金髪の俳優にボンドは似合わない」という反対署名運動まで起きた。『カジノ・ロワイヤル』の成功によって称賛に変わったと言われているが、保守的なボンドのイメージを覆すのに彼は大きな壁を乗り越える必要があった。ダニエルを観ていて感じるのは、彼が演じた15年間で007シリーズは女性の支持も得られるようなスタイルに変わっているということだ。これには#MeTooやTime's Upに代表される社会やハリウッド全体の流れも背景にあるようだが、ダニエル自身が歴代のジェームズ・ボンドの演じてきた「お約束」をアレンジする姿勢を貫いていた、ということも大きく影響しているのだろう。だからダニエルで007を好きになって過去作品へさかのぼっていった、というファンは一定数いるのではないだろうか。少なくともここに一人いる。そんなわけで私は、新参ファンであるがダニエル演じるジェームズ・ボンドにとても親しみを感じている。

007のお約束といえばボンドガールとストーリーを華々しく彩る銘酒たち。とくに『シェイクしたマティーニ』や、シャンパン(フランス語ではシャンパーニュ)はシリーズと切っても切れないパートナーである。ここで1本の『幻のワイン』を紹介したい。原作には描かれながらも、映画に登場することのなかった隠れた銘酒だ。

『キュヴェ・クライヴ』と名付けられたそのスパークリングワインは、南アフリカの「泡」の名手、『グラハム・ベック・ワインズ』のフラッグシップである。ブドウを房ごとに選りすぐってプレスした最高の果汁で造られる。複雑でありながら飲みやすさと円熟感があり、深い熟成香とクリーミーなボディが持ち味だ。細やかな泡、そして筋の通った美しい酸が、何かダニエルに通じるものを感じさせる。

名前の『クライヴ』は、綴りが“Clive”で、ダニエル・クレイグの “Craig” とは別もの。“Clive”は悲運の末に若くしてこの世を去ったワイナリーオーナー夫妻の長男の名前である。ワイナリーにとって重要な銘柄に、夫妻はこの名を選んだ。悲しみを乗り越えた夫妻のどんな思いが込められたか、ということに深い説明は必要ないだろう。

クレイグとクライヴ、壁を乗り越えて、ということが両者に類似しているのは興味深い。偶然だったのか、必然だったのか、このワインはベストセラー作家ジェフリー・ディーヴァーの目に留まることになる。彼は2011年に発表した小説『007 Carte Blanche(カルト・ブランシュ=白紙委任状)』にこのワインを登場させたのである。美味しいものや様々な国のカルチャーが大好きで茶目っ気のある大小説家は、主舞台を南アフリカに設定した本作でラストシーンの小道具にこのワインを配置している。

 

(引用)
「このワインは、ランスのものに負けないくらい美味しい」
「ランス?」
「フランスの地名だ——シャンパンの本場さ。パリの東にある。きれいなところだよ。いつか行ってみるといい」
「きっといいところなんでしょうけど、南アフリカのワインが同じくらい美味しいなら、わざわざ行く必要はないんじゃない?」

007らしい、読み手の耳に心地良い会話が2003年物のキュヴェ・クライヴを飲みながら繰り広げられる。

もとは小説が原作となっている007。『カルト・ブランシュ』の手直し前原稿が完成したのは、ジェフリー・ディーヴァーが東京を訪れていたときだったようだ。ついに映画化されることはなく、叶わぬ夢となってしまったが、仮に映画になっていたら時期的に主演はダニエル・クレイグだったであろう。もしかしたら彼がキュヴェ・クライヴを飲むワンシーンが撮られていたかもしれない。

ダニエルの新作ボンドも、2003年物のキュヴェ・クライヴも今ではもう手に入らないが、007シリーズと、キュヴェ・クライヴの新ヴィンテージは今後もリリースが続いていくだろう。映画館のシートで『ノータイム・トゥー・ダイ』の6分を超えるエンドロールを最後まで観た者のみが知った事実によって、私は次のジェームズにまた会える楽しみが自分の心に湧くのを感じた。さあ、次は誰だ?どんな風に展開するんだ?と。

ダニエルが去ったことは本当に寂しい。けれども今はそれよりも彼への感謝の方が強い。おかげでまた中学生のときに観た007を、酒の良し悪しがわかる年齢になってまた好きになった。次のジェームズ・ボンド役がたとえどんなサプライズ抜擢であったとしても、ダニエルが残した教訓を活かして私は人一倍新作を楽しんでやろうと心に決めている。

引用
■ジェフリー・ディーヴァー著『007白紙委任状』/池田真紀子 訳/文藝春秋/2011

参考文献
■シリーズを飛躍させた、“六代目”ボンドの魅力。『pen+ 増補決定版 007完全読本。』/2021年9月15日発行
■スペシャルインタビュー「ダニエル・クレイグ」『ビッグイシュー日本版』/第416号2021年10月1日発行

参考サイト
■文藝春秋翻訳出版部 永嶋俊一郎『ジェフリー・ディーヴァー日本滞在記』/翻訳ミステリー大賞シンジケート/2010年11月15日(2022年4月12日閲覧)

http://honyakumystery.jp/1289777951(その1)

http://honyakumystery.jp/1289801554(その2)

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