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ワインのキホン

ワインの歴史を紐解く。なぜワインは世界中に広まったのか?

ワインの歴史を紐解く。なぜワインは世界中に広まったのか?

ワインはいつ頃から飲まれているお酒なのでしょうか?ワインの発祥から、なぜこんなに世界中で愛されるお酒となったのか、ワインの歴史について解説します。

ワインのはじまり

太古の人々はおそらく、鳥が美味しそうに食べるブドウを採るために木に登ったことでしょう。そして集めたブドウの房を木の入れ物や岩の隙間において動物から隠すことがあったと思われます。すると数日後には底にたまった果汁が自然に醗酵して「ワイン」ができていました。
このようにして人類はワインに出会うことになりました。甘酸っぱいブドウの実と醗酵した果汁を味わったら、きっとまた木に登りたくなったでしょうね。

ブドウ栽培のはじまり

人為的なブドウ栽培の歴史は約8000年前まで遡ることができます。
醸造の痕跡が残るのはジョージアの紀元前6000年頃に使用されていた世界最古の醸造施設とみられる遺跡です。人類が遊牧から定住生活に移行したのは紀元前10000~8000年頃ですから、この遺跡より前には栽培が始まっていたはずです。発祥は様々な分野から考察されていますが、概ね下記を結ぶ「三角地帯」という見方で一致しています。

・コーカサス山脈(ジョージア/アルメニア/アゼルバイジャン)
・トロス山脈(トルコ東部)
・北ザグロス山脈(イラン西部)

ブドウ栽培をはじめた人々は自然とブドウの『クローン選抜』を行うようになりました。もともと野生に存在していたブドウ品種の大部分には雄株と雌株がありました。ですから雄株の近くにある雌株のみが房をつけることができました。なかには安定的に房をつける雄雌同体の株が2~3%ほど存在し、人々は長い時間をかけてそれら選択して栽培するようになっていきました。

メソポタミアからエジプトへ

ワインは次第に近隣諸国であったメソポタミアやエジプトに伝わっていきます。メソポタミアには紀元前(BC)3500~3000年にブドウ栽培が伝わり、BC3200~2700年にかけてエジプトへワインが輸出されていました。ほどなくしてブドウの栽培もエジプトにもたらされています。
・第一王朝では非常に進んだブドウ栽培の記載が象形文字に見られます。壺の栓にファラオの名、ブドウ畑とワイナリーの記載があり世界最古のワインラベルとされています。
・第二王朝では王の墓に支柱を使って栽培されたブドウが描かれた壺の栓が発見されています。
・第三王朝の王の壁にブドウの収穫とワイン生産の風景が描かれています。

最古のピラミッドが建てられたのは第三王朝の時代ですから、それよりも古いのは驚きですね。

また、ギリシャでも紀元前4000年には自生していたブドウでワイン造りが行われていたとされています。紀元前3000年にはクレタ島やサントリーニ島でワインを取引しており、世界最古のワイン用圧搾機や容器が出土しています。

文献で見る最古のワイン

ワインに関する記述として最古のものといわれているのが「ギルガメシュ叙事詩」です。
「ギルガメシュ叙事詩」はメソポタミアの英雄詩であり、世界で最も古い物語といわれています。

主人公ギルガメシュが教えを請うた、永遠の命をもつウトナピシュティムは、神々に指示を受けて方舟を造り、財産や金・銀、生き物、家族、職人たちすべて方舟に乗せ、大洪水を乗り切った人物。この方舟を造らせた際に、船大工たちに対価として与えたのがワインだったと記述されています。

この方舟のお話、どこかで聞いたことがあると思いませんか?旧約聖書に出てくる「ノアの方舟」にとても似ています。

「ノアの方舟」のあらすじはご存じの方も多いかと思いますが、「人類の堕落さに怒った神が洪水を起こして人類を一掃しようとした時、信心深いノアに方舟を造らせ、妻子や全ての生き物のつがいを一組ずつ方舟に入れて難を逃れた」というお話です。
異なるのは「ノアの方舟」後日談に出てくるワインの記述部分。「ノアは洪水の後に農夫となってワイン造りを行っていたが、ワインを飲みすぎて泥酔。裸で寝てしまったところを息子に見つかり、他の兄弟に告げ口したことを知ったノアが激怒し息子を呪う」とあります。
ノアは聖書に出てくる最初にワインを飲んだ人とされていますが、記述をみる限り、「はじめての酔っ払い」なのかもしれません。

ヨーロッパでのワイン造り

紀元前1100年頃、地中海を中心に交易をおこなっていたフェニキア人によってエーゲ海や地中海沿岸にワインが広められていきます。350年ほど遅れてワインを造るようになったギリシャでは文化が花開きました。ギリシャ神話に出てくる豊穣とワインの神ディオニソスが信仰され、都市国家であるギリシャ市民は饗宴(シンポシオン/symposion)を開いていました。ハーブやスパイス、蜂蜜で風味をつけたり、水(ときには海水)で割ったりしたワインを飲みかわしながら議論を繰り広げました。これは現代の「シンポジウム」の語源といわれています。

紀元前8世紀頃にワイン造りはギリシャからイタリア南部に伝えられます。ギリシャからみたイタリアは「ブドウの大地(エノトリア・テルス)」と呼ぶにふさわしい、ブドウ栽培に適した土地でした。ギリシャから持ち込まれたグレコ、グレカニコ、アリアニコなど今日にも続いているブドウによって南イタリアでのワイン造りが盛んになります。

都市国家となったローマは南イタリアなどからワイン造りを学び、ジュリアス・シーザーがアルプスを越えてヨーロッパ内陸部にあるガリア(現在の北イタリアとフランス全域などを含む)に遠征します。その際、ローマ軍が征服した土地に次々とブドウを植えたため、ワイン造りはヨーロッパ中に広まっていきました。

ワインはなぜ各地に広まったのか

古代ローマのワイン文化は円熟期を迎えますが、4世紀のゲルマン民族による襲撃やローマ帝国の滅亡、5世紀の民族大移動期によって衰退を見せます。それらを背景にしながら、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令でキリスト教が公認され、ローマ・カトリック教会の宣教師たちが次々と大聖堂や修道院を増やしていきました。9世紀にフランク王国のカール大帝がワインを保護したことで徐々に回復を迎えます。

中世に入り、ワイン造りが広まっていった大きな理由は「キリスト教の布教活動」にあります。
この頃からワイン文化は修道院によって支えられるようになりました。ミサ用のワイン需要が増えたことで、修道院によってワインの醸造が広まっていったのです。

キリスト教においてワインは「イエスの血」といわれています。
最後の晩餐で、イエスはパンを手に取り「これが私の体である」、ワインが入った盃を掲げ「これが私の血である」といい、弟子たちに与えました。このエピソードから、ワインを飲むことはイエスの血を飲むことにより新しい契約を受け入れることを意味するため、ミサの際にワインが振舞われるようになりました。

大航海時代とワイン

時は流れて15世紀、大航海時代へと突入します。

ここでもワインを広めるのはキリスト教の宣教師たちです。全世界にキリスト教を布教するために出向いた宣教師たちが、その土地でブドウ栽培とワイン造りを始めていきます。
現在「ニューワールド」と呼ばれているワイン生産地のほとんどは、この時期に開拓された場所です。16世紀にアメリカ合衆国やチリ、1655年に南アフリカ、1788年にオーストラリア、1819年にニュージーランドに、ワイン用ブドウが植えられた記録が残っています。

こうしてワイン造りは大航海時代と共に地理的拡大を続けました。

歴史を感じさせてくれるワイン

それでは「ワインの歴史」を感じさせてくれるワインをご紹介いたします。

ワイン発祥の地ジョージアのワイン


ワイン発祥の地ジョージアで、8000年の歴史のあるクヴェヴリ醸造で造られたオレンジワイン。カヘティ地区の伝統的な白ワインに使用される主要品種「ルカツィテリ」を使用しています。

コーカサス地方南部に位置するアルメニアのワイン


ジョージアと同じく、世界最古のワイン産地として知られるコーカサス地方南部に位置するアルメニア。アルメニア固有品種「アレニ・ノワール」で造られた究極のワインです。

ギリシャ、サントリーニ島のワイン


5000年以上もワイン造りの歴史があるギリシャ、サントリーニ島。接ぎ木されず、現在も自根で栽培される地ブドウ「アシルティコ」は、世界で最も高貴な白ブドウの一つとして知られています。

最後に

人類の歴史と同じくらいに長い歴史を持つワイン。ワインに魅了されるのは昔も今も同じかもしれません。

参考文献・参考サイト

参考文献
一般社団法人日本ソムリエ協会/『日本ソムリエ協会 教本2021』/一般社団法人日本ソムリエ協会(J.S.A.)/2021年
矢島文夫訳/『ギルガメシュ叙事詩』/ちくま学芸文庫/1997年

参考サイト
日本聖書協会ホームページ/2024.2.1閲覧
https://www.bible.or.jp/read/vers_search/titlechapter.html

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